熟成古酒質問ページ

質問最古の熟成古酒とは?
答え大澤酒造鰍フ元禄弐年醸造のお酒です。

確認されている最古のものは、大澤酒造鰍フ元禄弐年醸造のお酒です。このお酒の開栓の模様はNHKなどでも放送されました。残りの酒は酒類総合研究所にて分析され、器は蔵の資料館に保管されています。

つぼの表面にはひびが見られたが、そこに内側から古酒がにじみ出てきて、黒褐色の硬いのりがついているような状態となっていた。細かな香り、味は軽やかで、のど越しはスッキリとしていた。(長期熟成酒研究会 顧問 本郷信郎


現存している最古のお酒は和歌山県の帯庄酒造が造った「スイートピー」といわれています。これは蔵の整理で発見されたもので、46本見つかりました。

瓶全体にわらぼっちをかぶせた状態で保存され、瓶の内側には黒点が付着していた。麹の量が比較的少ない灘型の酒。瓶を縦にして保存していたもの、横にしてあったもので熟成度が異なり、酒は澄んでいたが、濃い赤褐色。味に幅を感じた。( 同 上 )

「スイートピー(ラベル:スヰートピー)」は現在市場に流通しておりません。長期熟成酒研究会では平成17年に「長期熟成酒研究会20周年記念の夕べ」にてこのお酒を開け、きき酒を行い、参加した方には「80年熟成酒 きき酒証明書」が配られ大変な人気を集めました。


1、2=瓶を立てたまま熟成させたもの。
3、4=瓶を横にねかせて熟成させたもの。
熟度は3、4の方が良かったという。これは熟成初期の酸化による変化と考えられている。<瓶上部に空洞がある(立てた瓶)場合の方が空気の出入りが多い>





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質問お酒は古くなると酢になる?
答え清酒はお酢になりません。

もともとお酢になるためには「酢酸菌」という微生物が必要です。しかし、清酒に酢酸菌は入っていません。ではなぜ「古くなると酢になる」という意識が私たちの中にあるのでしょうか。

終戦後、昭和30年頃までは微生物の知識が乏しく、衛生管理が充分ではありませんでした。 その結果、お酒を造るために必要の無い様々な微生物が混在し、腐ってしまうお酒が多くあったのです。酒を腐らせる菌、これは乳酸菌の一種「火落菌」です。この年代のお酒をうっかり飲み忘れたりすると・・・?

「真っ白に濁り、酢のような酸っぱいお酒」の出来上がりです。

しかし、今は衛生管理が徹底し、酒が腐ることはほとんど無くなりました。何年置いても酸っぱくなる心配は有りません。(自宅で熟成させる「My古酒」を楽しまれる方は「My古酒のススメ」を併せてご覧下さい)

また、酒は古くなると色が付き、味も香りも悪くなるとされてきました。しかし、本来お酒には生まれた時から微かに色がついているものであり、市販清酒の色がないと感じるのは炭素処理で色をとっているためです。

そして、酒の造り方、貯蔵年数や温度の条件が整うと、思いも寄らない素晴らしい酒になることが分かったのです。

>>「My古酒のススメ」

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質問昔の酒は腐るなら、熟成古酒の歴史は短い?
答えいいえ。歴史はとても長くあります。

「酢になるんじゃないの?」を読まれた方は不思議に思うかもしれませんが、熟成古酒の歴史は古く、室町時代や江戸時代の古文書には熟成古酒の記述があります。昭和30年代までの酒がすべて腐るというわけではなく、衛生管理が充分でないため「腐ってしまうものもあった(多かった)」ということです。

室町時代も江戸時代も、比較的衛生的に造られたお酒は5年、7年、9年と熟成され、珍重され飲まれていました。価格は新酒の3倍といわれています。特に九年酒といわれる9年熟成のお酒は特別な酒でした。(詳しくは「お祝いの酒」をご覧下さい)

しかしこの歴史が明治時代に突如奪われ、市場から熟成古酒が忽然と姿を消します。そのため現存し、最古とされている熟成古酒は昭和元年醸造の「スイートピー(帯庄酒造)」です。

>>現存する最古の酒「スイートピー」とは

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質問古いモノがあまりないのはなぜ?
答え明治時代、市場から熟成古酒が消えたためです。

室町、江戸・・・と長い間楽しまれていた熟成古酒の歴史が途絶えるのは「明治時代」です。なぜ、明治時代に熟成古酒は姿を消してしまったのでしょうか。

最大の理由は税制“造石税”です。

造石税とは、造ったお酒すべてに対し“検定と同時に”税金が課せられるというものです。もちろん熟成させるために造り、数年は売り出さないお酒にも造った時点で税金が課せられます。こうなると蔵元は早くお酒を売り出さないと、来年まで財政がもつかもたないかというとても厳しい状況に追い込まれました。

造石税と蔵出税

このように、明治にかけられた税の負担に耐えられず、清酒を熟成させる文化、熟成古酒は姿を消してしまいました。

明治時代にこういった重い税が課せられた事には理由があります。それは戦争です。日清、日露両戦争の戦費はすべて酒税で賄われていたといわれ、1899年(明治32年)の国家財政38.8%が酒税でした。

戦後、造石税は廃止され、今現在の蔵出税と変わりました。蔵出税とは蔵から出荷するお酒の量が税対象となります。そのため蔵でゆっくりと熟成され、出荷を待っている熟成古酒に税金が課せられません。同時に、世の中が豊かになるにつれ、蔵元に「酒を熟成させよう」「熟成古酒を復活させよう」といったロマンが芽生え、市場に商品して現れるようになりました。

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質問熟成古酒は古文書にどう書かれていたの?
答え時代、身分により様々です。


■鎌倉時代のお酒好き“日蓮上人”のお礼状
鎌倉時代、日蓮上人は女性信徒から熟成古酒をプレゼントされました。そのお礼状の一部に注目しましょう・・・

「人の血を絞れる如くなる古酒を仏、法華経にまいらせ給える女人の成仏得道、疑うべしや」

>>人の血を絞れる如くなる古酒
当時のお酒がどのような色だったか目に浮かびますね。
この時代の公家や寺院の日記の中には「古酒」という単語が多く見られます。


■元禄時代以降 古文書「本朝食鑑」
今から約300年前、元禄時代以降に書かれたと見られる「本朝食鑑」という古文書があります。そこで熟成古酒はこのような記述をされていました。
「…收蔵干瓶壺、能可經年、至其三四五年者、味濃厚美最佳也、及六七至十年者、味薄気厚、色亦深濃、有異香尚佳…」

「3、4、5年モノ」の熟成古酒は「味が濃く、厚みがあって、最もよい」とあり、さらに「6、7年から10年モノ」になると「味は薄く気は厚め、色は深く濃く、独特の香りがあってなおよい」との意味合いです。

この文から、熟成古酒が澄み切った濃い褐色に輝き、のど越しはスッキリした風格のある酒だったことが想像できます。


■江戸時代 奥女中の日記
江戸時代幕府の大奥で将軍が熟成古酒を飲んでいた様子について、御次(奥女中)の佐々鎭子の談があります。
「御膳酒と申して、真っ赤な御酒でございます。嫌な匂いがいたしましてね、あれは幾年も経った御酒でございましょう」(林美一著「江戸の24時間」より)

嫌な匂い」とありますが、劣化状態で老香のある段階のお酒だったのかもしれません。「熟成古酒はまず劣化から始まる」といわれ、解脱するまでは老香のいやなにおいがします。しかしこれが解脱すると老香から熟成香へと大きな変化をするのです。どちらにせよ、酒好きで酒癖が悪いと評判の将軍でしたが、毎日この“真っ赤な御酒”を飲んでいたそうです。熟成古酒は二日酔いしにくいため、翌日の執務のことを考えて飲んでいたのかもしれませんね。

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