本郷顧問連載コラム:Vintage Sake (全33回)

第13回:我が家の熟成酒

長期熟成酒研究会顧問 本郷信郎

本郷先生近影酒の熟成に興味を持ったのは、国がブドウを除く果実酒の自家製造を許し、35度焼酎で盛んに梅酒が作られた頃からである。

かつて果実酒協会の理事長を務めた石田讓さんが、毎日新聞記者から内閣広報の担当者へと転身し、自ら果実酒を作って楽しんでいたころ、ある人の紹介でその酒を利くことになった。酒には甘、辛、ピンの三つが必要だが、そのピンが足りないよ、と話をした記憶がある。梅酒、マルメロ酒(カリンの一種)、朝鮮人参酒、それに梅酢、にんにく醤油なども一緒になって造った。

酒、酢が時間の経過と共に丸みを帯びて風格を持つことを身をもって知り、5~6年で味も柔らかくなることを知り、それを楽しんだ。酒に関係する仕事をしていたこともあって、外で毎日酒を飲むことが多く、家に居るときは「休肝日」であった。

本郷顧問自宅クローゼット家内の里は造り酒屋であり、仕事柄いただく酒もあり、最初は台所の下のコンクリートの食料品置場で熟成酒造りを初めたが、そこが満杯になると、バルコニーの冷蔵庫に。そして一坪と半坪の二つの物置へとどんどん広がっていった。台所下と冷蔵庫では瓶をそのままにし、物置では新聞紙に包み、ダンボールの中で熟成させる。いずれも紫外線を出来るだけカットすることに気を配った。

7~8年前にマンションに引っ越した後も、我が家の玄関口には酒が入った段ボールが積み上げられ、飲料としての酒造家の仕込水が並ぶ。クロゼット上部の棚には酒、下部は果実酒の瓶が…。書棚の一部も活用し、新聞紙に包み、メーカー名、酒別、瓶詰年月日を表示し張り付け、多くは立てた状態で熟成させている。

新聞紙は熟成酒造りに着手した年の社会面を使うのが良い。開封時に当時の社会の状況の一部をのぞくことが出来る。仕事柄の役得で自分で利いて、これは良くなると見た酒はケースで分けていただいて、我が家の一角で年を重ねている。

最近は酒の移動や探し出しがままならなくなっている。子供や孫が来た時に頼んでいる。老妻には「こんな酒の中の生活は嫌。あなたが死んだらどうすればいいの」と、いつも言われているが、20年以上熟成され、調和ある酒や酢なども探し出されると、友達の会合に。子供たちも、抜け目なくおいしいものを探し出すと「いただきます」と言って、逸品が消えることが多い。

30年は過ぎたとみられる真っ黒な梅酢をかき酢や真鱈の白子の二杯酢などに使用するなどして、喜びの大きな調味料になっている。この原稿の執筆に際して整理していたら、金ピカに光る朝鮮人参酒、黒々と濃厚なにんにく醤油を発見した。中身のにんにくはチャーハン用に持っていかれ、その姿はなかった。

次回はどんな酒が熟成に適するかを。

(Kyodo Weekly 2009.4.13号掲載)