本郷顧問連載コラム:Vintage Sake (全33回)

第7回:夢を追う会の流れ

長期熟成酒研究会顧問 本郷信郎

本郷先生近影明治以降の官制による課税強化や製造方法の規制の時は長く、何百年続いたメーカーも太平洋戦争中は、1税務署1業者に統合されていた。戦後、これらの業者と海外進出していたメーカーの国内製造免許の復活運動が盛んになり、酒屋万流といわれた製造技術の復活の夢を膨らませていた。

昭和50(1975)年に入って、1県1社の日本地酒頒布協同組合が作られ、各県の酒を相互に売る組織が編成された。各地の陶器に地酒を入れての販売があり、この中で陶器の焼成温度が800度以下では土が酒に溶けること、1800度以上は磁器となり、酒の熟成が進まぬことを知った。

昭和56(1981)年、日本吟醸酒協会が設立されている。この準備段階の会合には熟成古酒を目指すメーカーも一緒であったが、まず吟醸酒のみでの会合となった。その中で、吟醸酒の長期熟成では造られた時に良い酒でなければ、長期熟成でも決してうまい酒にはならないこと、そして、その差は年々拡大することが分かってきた。

「東光」熟成中の酒長期熟成を目指すグループはその後、昭和60(1985)年長期貯蔵酒研究会として発足し、メーカー同士の技術交流の場に、東洋大元教授の赤星亮一氏、東京農業大元教授の吉沢淑氏を講師として招いて勉強会が開催された。赤星教授を通じてフランスのワイン専門家との交流など、意欲が盛り上がり、世界の熟成酒の事情を知ることで会の名称を長期熟成酒研究会に変更した。

平成4(1992)年、流通に携わる酒販店を中心にわれわれも勉強会に加えてほしいとの要望が高まり、長期熟成清酒勉強グループが結成され、吉沢教授を中心にその人の利き酒能力のテストと、その向上を目指す特別講義が始まり、「香り」「甘さ」「酸」などの基礎の策定、0から0.9の10種類のテストを実施。自分の長所、欠点を知った上で、体の体調との関係など学問的に忠実な勉強から始め、熟成古酒の利き酒師認定制度を創設した。

昨年9月、ニューヨークで開かれた「Joy of sake」の会場の一角に初めて熟成古酒コーナーが開かれ、19アイテムの酒が並び、メーカー、流通業者などが参加してニューヨーカーをビックリさせた。また、古酒の会が流通関係者と別途に開かれドイツからの参加者もあり、ワインに慣れた人々の舌の上で、日本酒の熟成古酒が“乱舞”したことである。

フランスワインの名門ロマネコンティに日本のメーカーが見学に参上した折、オーナーから濃熟タイプ達磨正宗昭和54年を重ねての利き酒所望された。最近では、このオーナーから「米のささやき」蔵元・龍力の子息の結婚披露宴に特別ブレンドされた赤ワインが贈られてくるなど、国際交流も深まってきている。今や熟成古酒は味の柔らかさ、貴重な香りなど、世界で理解が進むとともに、国内の消費者の関心も高まっている。

(Kyodo Weekly 2008.10.13号掲載)